ママがひとりの女性になれる時間
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先日パパに預けて久しぶりに1人でお出かけをした。
思いつきで古めかしい雰囲気のカレー屋さんに入っただけなのに、その時頼んだビーフカレーが体に染み渡るように美味しく感じた。
なんて身軽なんだろう。重たいベビーカーを押さずとも、エレベーターを探さずとも、人ごみをかき分けてスイスイ歩ける。雨だってへっちゃら。
行きたい時に行きたいお店に入れる。食べたいものを食べれる。
なんて幸せなんだろう。なんてゆったりとした時間が流れているんだろう。
見るもの感じるもの全てが初めてのような、わくわくした気持ちになった。
同時にちょっと最近、ママモードになりすぎていたように思い反省した。
私というアイデンティティを形成する核となるものは、子育て中の主婦なので
子どもであることは間違いないのだけれど。
でも、私は一方で何も肩書きのない1人のただの女性なんだということを思い起こされた。
最近、1人の女性としての日常を楽しんでいなさすぎたなと。
子どものことはもちろん、大好き。成長してくれて幸せ。なるべくそばにいたい。
だけど、こういう1人の時間もたまには必要。
家事をせず妻でもない、子どもにかかりっきりのママでもない1人の女性の時間。
現代の女性はママや妻や仕事人と、何個も役割を担っているけど
そのどれもが構造が違いすぎる。もっといえば時空すら違うような大きな違いがある。
女性がそれらの役割を発揮しなくてはいけない時、パソコンで言えばOSから入れ替えるぐらい極端な切り替えスイッチがあるように思う。全く違う人物になったような。
(そんな器用なこと、女性だからできる能力ではあるけれど。)
私はここ最近、ママスイッチが入ったままで
他の私になるスイッチの入れ方を忘れていた。
窓を開けてこもった空気の部屋の風通しをよくするみたいに、
自分を切り替えてリフレッシュすることって重要。
私は今は仕事をしていないし、こうして1人の時間をもたないと、
家事と子育てだけの毎日で、視野が狭く内向きになってしまいすぎる傾向にある。
本当の女性としての私は、好奇心が強く、感受性も豊かだったはずだ。
もっと野心家で、新しいことに心ときめかせ、向上したいと強く願い行動する女性だったはず。
ちょっとそんな自分を思い出した。
今、できることなら1日だけ1人でのんびり何も考えない旅行に出たい。
きっと夜になると母性が呼び起こされて心配になって、会いたくなってしまうんだろうけど。つまりはママである自分も嫌いではなく、すっかりママである私も私であると言えるほど板についてはきたのだけど。
ここ最近、思うように喋れないけど、いろいろ感情も複雑化してきた息子に
時間通り、思惑通りスムーズにいかなくてちょっとイライラしてしまうことも。
これはきっと1人になってママのスイッチを切って充電が必要という黄色信号。
ちょっとの時間でも1人になれば充電されて、また子どもが愛おしくなる。
イライラもしちゃうけど、本当は、大好きで愛してやまない我が子。
また少しだけママにレディースデーをちょうだいね。